日本一のカルスト台地で育ちました

秋芳梨の特色

 秋芳梨は山口県美祢市秋芳町で生産されている二十世紀梨です。その特色は,甘味と酸味のバランスの良さ,そしてなんといっても,みずみずしくてシャリシャリとした食感にあります。また,大玉の梨づくりを基本としていますので,贈答品などにも多くご利用いただいております。

 では,そのような大きくて美味しい梨がつくれる秘密はどこにあるのでしょうか?

 そのひとつは産地の自然環境にあると考えられます。当地の梨園の多くが日本一のカルスト台地,秋吉台石灰岩地帯の山麓や平野(ポリエ)にあるため,長い年月によって風化・浸食された石灰分が流入し,排水の良い土壌となっています。また,土壌の中には秋吉台草原の草などを堆肥とした肥沃な有機物も豊富に含まれています。さらに昼夜の気温格差の大きいことも梨の生育に適しています。

 そしてもうひとつの秘密は,各生産者の日々の努力と栽培技術へのこだわりです。梨が順調に成長するためには,日照と水分が欠かせません。梨の養分をつくり,糖度を上げてくれる葉への日当たりを良くするため,剪定(せんてい=枝切り)や誘引(ゆういん=ひもを使用して枝を方向づける)作業によって,なるべく葉に陰をつくらないようにしています。また,大玉の梨をつくるため,1本の枝にならせる実の数は制限し,根もとにわらなどを敷いて,水分を保つ工夫をしています。さらに収穫後は,翌年へ向け樹を元気にするため,畑の土を掘り起こして堆肥などを入れる土壌改良を行っています。これらの技術は,生産者が加盟する「秋芳梨生産販売協同組合」の技術部によって各生産者へ普及されており,高品質で均一な梨づくりをめざしております。

 梨づくりに適した恵まれた土壌,気象条件,そして梨づくりへのこだわりによって生み出される結晶を,ひとりでも多くの皆さまへお届けできればと願っております。

秋芳梨の歴史

 みずみずしくて,ほどよい甘味と酸味をもつ二十世紀梨は,19世紀末に千葉県で発見された品種で,1898年(明治31年),来世紀には梨の品種の主流を占めるだろうということで「二十世紀梨」と命名されたそうです。

 それからわずか6年後の1904年(明治37年)に先覚者,西村正一氏によって,ここ山口県秋芳に二十世紀梨の苗木が導入され,栽培が始められました。このころ植えられた100歳を越える樹が,今もたわわに梨を実らせています。

 二十世紀梨は病気に弱く,その栽培は苦難の連続でしたが,研究・努力の結果,栽培面積も増え,1937年(昭和12年)には初めて共同選果場が建設されました。

 第二次大戦後,食糧増産政策によって,大幅減産をよぎなくされた時期もありましたが,1955年(昭和30年),それまで4つあった生産組合が合併して,「秋芳梨生産販売協同組合」が結成され,「秋芳梨」という統一ブランドで販売されるようになりました。

 1961年(昭和36年)に観光梨狩りも始まり,1967年(昭和42年)には現在地に選果場が建設されました。そして昭和50〜60年代には,栽培技術と品質の向上に積極的に取り組むとともに,生産量も大幅に増加しました。

 秋芳梨は1989年(平成元年)から東京の老舗果物専門店, 新宿高野 でも販売されるようになり,その品質は高い評価をいただいております。また2001年(平成13年)には全国農業コンクールで農林水産大臣賞名誉賞を受賞しました。そして秋芳で二十世紀梨の栽培が始まって100年目にあたる2004年(平成16年)には,「秋芳梨100年祭」の記念式典が盛大に開催されました。





秋吉台の麓に開かれた梨園
正面の山の向こうには秋吉台の草原が広がっています。
畑の中や周辺には石灰岩が露出している箇所もあります。
斜面に開かれているので,日当たりは抜群です。




樹齢100年を越える二十世紀梨


現在の選果場と選果作業
出荷された梨はベルトコンベアー
に乗せ,色や形などによって,5段
階に評価・選別されます。
100年記念のモニュメント
コンセプトは「梨から生まれた梨太郎」。
台座は秋吉台をかたどった「過去のイメ
ージ」,レリーフは100歳を越える梨の
樹で「現在のイメージ」。梨太郎は「未
来を支える子供」です。
製作者・山本辰昭氏